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folk craft




2006年8月、classicoオープンのため搬入した商品をディスプレイしていて、初めて気付きました。「鳥がたくさんいる!」

僕は未年の生まれで星座は魚座、鳥を飼った経験もなく、取り立てて鳥が大好きというわけでもなかったし、意識して集めていたわけでもありませんでした。縁あって自然に集まってきた様です。オープンしてから、幾つかのものは売れてしまい、代わりに縁あって針原修さんの「流木の鳥」が加わりました。ますますclassicoに鳥たちが増えていきました。写真の4点はいずれもfolk craftと言えるものです.時代も国籍も材質も用途も違う4点ですが、鳥がモチーフになっているという点と僕の大のお気に入りという点では共通しています。


上段左の写真はナイジェリア ヨルバ族の境界棒です。お客様によく「境界棒ってなんですか?」って聞かれます。これはヨルバ族が自分達の領土の境界の目印として使用する棒になります。棒状の下部がスクリューになっていて、地面に刺して固定できるようになっています。真ん中の鳥を中心にして沢山の鳥が集まっているフォルムは、部族の固い結束の象徴なのだと思います。鉄の錆びきって乾いた質感と相まって独特な存在感を放っています。

classicoをオープンする前、麻布十番にあったアフリカもの専門店で出会いました。ひとめ惚れでした。衝動買いする値段ではなかったので後ろ髪惹かれながら帰りました。その後も気になって何度か見に行き、まだ売れていないことを確かめていました。いよいよclassicoオープンが近づいてきた頃、ふらっと立ち寄るとそのお店はセール中でした。僕の意中の境界棒は? と探すとまだ店内にありました。聞くと境界棒もセールになっているとのこと、この機会を逃してはならないと思い切って購入しました。classicoをオープンして以来、classicoの看板的な商品となっています。

いつ頃作られたものか定かではありませんが、この境界棒は長い年月雨風に晒されてきたことを物語っています。どんな景色を見つめ、どんな時を重ねてきたのか思いを巡らせてしまいます。


上段右の写真はアメリカのラグマットです。お客様によく「これは売りものですか?」って聞かれます。残念ながら売りません。特別いいものでもありません。でも20年近く愛用してきたものですし、いい具合に味わいも出てきており、なんといっても柄と色合いが気に入っています。ベージュとインディゴブルーの縁取りで、ナチュラルベースにブラウンで木が織り込まれており、その木の枝に淡いブルー系の鳥と淡いピンク系の鳥が交互に織り込まれています。全体がペールトーンでまとまっていて、穏やかで幸福な空気感に包まれています。

20年程前、世田谷の小さなアパートに住んでいた頃、家から自転車で10分程の所にあったアメリカンなショップにて購入しました。アメリカンと言ってもサンタフェ調のものが多く、このラグもサンタフェあたりで作られたものだと思います。ユーズドではなかったと思うので、20数年前に作られたものでしょう。世田谷から横浜山下町、鎌倉、北千住と引っ越しながらも愛用してきました。classicoのオープン準備をしている時、フィッテングルーム用のラグに丁度いいかなと思って合わせてみたら、完璧なまでにピッタリなサイズでした。このために出会い、約20年手放さずに愛用してきたのではないかと思う程でした。そんな事から、どんなにお世話になった方に頼まれても譲らずにclassicoのフィッテングルームにて愛用しています。これからも20年、30年、classicoと共に歩んで行くことと思います。


下段左の写真は沖縄を代表する染め物、紅型(びんがた)の布地を額装したものです。美ら海(ちゅらうみ)を思わせる美しき碧い地に、紅色で鳥の柄が染め込まれています。大正時代頃の紅型で鳥の文様のまわりなど所々に染め抜かれていない隙き間が見られます。これが古い紅型の特長になります。完璧ではないからこその味わいや美しさを堪能できる一品です。

紅型は琉球王朝時代に発達し、以来400年に渡り伝統が守られてきましたが機械産業の発達により衰退し始め、終戦後には「滅びゆく民芸」とさえ言われました。そんな中「貴重な民芸を沖縄の伝統美として守り抜こう」と集った人々により「紅型振興会」ができ、現在も紅型の復興活動が行われています。紅型の特徴は素朴・簡潔・力強さと表すことができます。深く澄んだ空と透明な海の碧、亜熱帯の花々の濃い赤・黄、天地を染める壮大な夕焼けの紅など、その強く鮮やかな色彩にあふれた沖縄の自然そのものが紅型に染め抜かれているのです。


下段右の写真はオランダのデルフトタイルです。初期のデルフトタイルに見られるコーナーパターンが無いことや、タイルの厚さなどから17世紀後半頃のタイルと思われます。鳥の絵柄のデルフトタイルは初期の色絵のものには見られますが、こんなに質素で可愛いものはなかなか見ることがありません。デルフト独特の白の色はとても柔らかで美しく、コバルト・ブルーで描かれた鳥の絵柄をより瑞々しく引き立てています。これまで数多くデルフトタイルを扱ってきましたが、このタイルが一番のお気に入りです。

15世紀の半ばにスペインのタイルがイタリアに伝わり、イタリアにタイルの生産が広がります。やがてイタリアの陶工達は文化的に繁栄していたアントワープへと拠点を移します。しかし、アントワープの街はスペインの攻略を受けて衰退してしまい、陶工たちはオランダ北部ホラントへ逃れ、ホラントにてタイル製造を再開します。タイルの生産はホラントからオランダ各地に広がり、17世紀初頭にデルフトでもタイルの生産が始まるのです。

16世紀頃のオランダはスペインに支配されていました。イスラム文明の影響を受けていたスペイン人は家の壁や床にタイルを貼り巡らせる習慣がありました。その支配下にあったオランダにもその習慣が持ち込まれました。スペインから独立して豊かな国となったオランダでは、中国や日本の陶器に影響を受けた白地にコバルト・ブルーのタイルが生産される様になり、特に人気が高まりました。色絵のタイルと比べて生産効率が高かったためにかなり安く販売されるようになり、オランダの住居のあちらこちらにデルフトタイルが使用されることとなったのです。デルフトに生きた画家フェルメールの絵画の中にも、人々の住まいの中へのデルフトタイルの取り入れ方の一端を垣間見ることができます。


さて、次はどんな「鳥」との出会いが待っているのでしょうか。とても楽しみです。

| 19:00 |
classico


classico(クラシコ)という言葉から何をイメージしますか?

ファッション好きの方ならクラシコ・イタリアを、サッカー好きの方ならエルクラシコ(バルセロナ VS レアルマドリー)を、ワイン好きの方ならイタリア トスカーナ地方のワイン・ キャンティクラシコをイメージするのでしょうか。このblogを見ていただいている方の中には、谷中のclassicoと答えていただける方もいるのかな?


僕がclassico(クラシコ)という言葉を知ったのは10年以上前、1995年頃だと思います。当時日本のメンズファッションにはクラシコ・イタリアという大きな流れがありました。若い層のカジュアルマーケットは別として、クラシコ・イタリアがファッションの主流だったと言えるでしょう。

もともとクラシコ・イタリアとは、イタリア フィレンツェで年2回開催される紳士アパレルの展示会「ピッティ・イマジネ・ウォモ」出展メーカー中の19社で構成される「クラシコ・イタリア協会」からきた言葉です。日本では1990年代初頭くらいから徐々に認知され始め、クラシコ・イタリアという言葉がファッションのひとつの流れとして雑誌などで紹介されるようになりました。1999年には「エスクワイア日本版」にて「クラシコ イタリア読本」が発売されました。その頃が流れのピークだったのだと思います。キートンのスーツやジャケット、ルイジボレッリのシャツ、シルバノラッタンジのシューズ、ロータのパンツなど、イタリアの職人の手による高級紳士服が、あちらこちらのメンズショップにも並んでいました。僕も当時はそんな流れに乗って、ボレッリのシャツやロータのパンツなどを購入し、レストランへ行ったり旅行へ行ったりする時などの勝負服として愛用していました。

数年が過ぎ、クラシコ・イタリアという流れは緩やかな流れとなり、雑誌でも特に取り上げられる話題ではなくなっていきました。今や流行とは関係なく一部の高級紳士服店において展開され、一部の富裕層の方々に愛用されるものとなりました。そんな現在の状況の方が本来ふさわしいクラシコ・イタリアの在り方なのかもしれません。


独立して自分のショップを持ちたいという夢は、8年程前から持ちはじめていました。最初に勤めた会社からずっと洋服に携わってきていましたし、洋服を中心としたショップを持つことを夢見ていました。そんな頃、仕事をする中で骨董市を見に行く機会があり、自分自身も深く興味を持つようになりました。出勤前の早い時間や休日に、東京・神奈川の骨董市やアンティークショップを見てまわったり購入したりしながら少しずつ勉強を重ねていきました。やがて洋服よりも骨董やアンティークなど古い物を扱うショップを開きたいと、思いは変わっていきました。

僕が当時勤めていたショップは独自のスタイルを持っていて、流行に左右されるようなお店ではありませんでした。でも長い間洋服の業界で働く中で、ファッションというものには嫌気がさしていました。特に日本は流行の移り変わりが激しく、ついこの前までは流行の最先端だったものが、1年後には忘れ去られているということがよくあります。ファッションに限ったことではなく、テレビ・新聞・雑誌などマスコミなどの影響により、様々な事柄に見られる現象なのでしょうが。そんな事もあり、自分自身の洋服の価値観がどんどんミニマムな方向へ進んでいきました。そして、自分が洋服のショップをオープンするということがイメージ出来なくなっていったのです。


時代や国籍に関わらず長い年月を生き続けてきたもの、流行に左右されず時を経ても古くならないもの・錆び付かないもの、新しいものでも僕たちの子供や孫の世代まで大切に語り継いでいきたいもの、そんなものを集めたお店をやっていきたいと思うようになりました。そして、classico(クラシコ)という言葉が強いイメージとして浮かび上がってきたのです。イタリア語でクラシックを意味する「クラシコ」という言葉の響きは、ちょっと堅めで日本語的に感じていました。みんなが日々の「暮らし」を楽しむためのお店にしたいという思いもありました。そんな思いを重ねて、店名をclassicoと決めたのです。


いよいよ独立することとなり、前職を通じて親しくしていた中村夫妻が谷中へと誘ってくれました。中村夫妻は2005年3月に谷中でshop nakamuraをオープンし、すでに確固たる基盤を築いていました。中村夫妻には物件探しにもご協力いただき、おかげで素敵な物件が見つかりました。この物件というのが、入口が2つ・部屋が2つあり、中で繋がっている面白い物件でした。アンティークを中心としたショップをオープンするつもりでしたが、もう1部屋あることが重要な鍵となりました。暮らしを楽しむための雑貨を展開しようかと考えましたが、中村夫妻から助言がありました。「ずっと洋服に携わってきたのに、その洋服との関わりを辞めてしまうのは勿体ないんじゃないか」と。1部屋分・6坪のうち半分のスペースを雑貨、半分のスペースを洋服にすれば、ミニマムな洋服だけでも展開出来るかもしれないと思い直し、classicoのスタート地点に立ったのです。

「洋服も雑貨・アンティーク・民芸品などと同様に暮らしをを楽しむための道具である」という視点に立ってセレクトしました。洋服をより道具的な意味合いの強いclothesと表し、classicoのサブタイトルを決めました。antiques, clothes, crafts, and life.


classicoをオープンして沢山のお客様との出会いがありました。自分自身がセレクトして仕入れた商品を気に入っていただき、ご購入いただけることに喜びを感じました。洋服に関しては特にご好評をいただき、自分の自信にもなりましたし、意欲も湧いてきました。ご来店いただくお客様の気持ちに応えていきたいという思いから、新しい取引先を開拓しながら展示会をまわり仕入れをしていく中で、商品も充実していきましたし、皆様からのご支持もいただけるようになりました。オープンして3年目となる現在では、洋服がclassicoの中心となりました。僕自信も充実した気持ちで一杯です。


classicoの洋服はカジュアルな洋服ばかりで、クラシコ・イタリアとは違います。アメリカやヨーロッパからのクラシックなカジュアルウェア・オープン当初からのミニマムな洋服も展開していますが、これからのクラシコという視点で選んだ次世代へ繋いでいきたい洋服も、少しずつ増えてきています。中には「あれっ?」と感じるものもあるかもしれませんが、僕の中では意味のあるものとしてセレクトしています。時には「やっちまってるな〜。」と思われることもあるかもしれませんが、温かくそして時には厳しく、見守り続けていただけたら幸いに思います。
| 09:00 |
INDIVIDUALIZED SHIRTS


爽やかな秋晴れの休日、洗い晒しのお気に入りのシャツを軽やかに羽織って、のんびり散歩するのって気持ちいいですよね。
現実的には、なかなかそんな時間も作れていないのですが。

店休日の火曜日には、仕入れと展示会まわりで1日が終わってしまいます。特に9月から11月にかけては、来春夏に向けて洋服の展示会が毎週のように続きます。展示会まわりは、新しい出会いや発見、喜びもあり、楽しんでいます。でも展示会場では、感覚と集中力を研ぎすまさなければならないため、数件まわるとクタクタになります。せめてもの慰めに、展示会から展示会の移動の間を、お散歩気分で歩くようにしています。ちょっと寂しい話ですが。


まだ、僕が前の会社に勤めていた頃のこと、ある信頼出来るショップバイヤーの方がこんな話をしていました。「展示会の時には、特別お洒落なカッコをして行くんじゃなくって、普段着ているカッコのままで行くんです。展示会でサンプルを試着した時にコーディネートをイメージしやすいし、シンプルな服に合わせた時にこそ、そのものの本質的な良さが見えるから。」
その信頼できるバイヤーさんの影響もあり、洋服の展示会まわりの時はいつも同じ様な服を着て行きます。白のオックスフォードのB.D.シャツ、白のTシャツ、ジーンズかチノパンツ、コンバース オールスターなど。ほんとに普通ですよね。そして、そんな時のシャツは、INDIVIDUARIZED SHIRTSのオックスフォードB.D.シャツなのです。


INDIVIDUAALIZED SHIRTSは、1961年アメリカのクラフツマンシップが多く残っていた時代、マンハッタンの対岸に位置する静かな町、ニュージャージー州アンボイにてオーダーメイドの専門ファクトリーとして創業しました。老舗シャツメーカーと言うには若いメーカーですが、シャツ製作に対するこだわりは創業以来一貫しており、特にカスタムメイドシャツの分野ではアメリカ国内シェアー1位を誇っています。
2003年までは、B.D.シャツの原点を作り上げたBROOKS BROTHERSのカスタムシャツ部門を全て任されていました。現在もNYの最高級百貨店BERGDORF GOODMAN、SAKS FIFTH AVENUEなど、全米の高級紳士服専門店のカスタムシャツを手がけています。顧客リストの中にはブッシュ氏を含む歴代大統領やハリウッドスターやスポーツ選手などのセレブリティーが名を連ねています。

classicoで扱っているモデルは全てCLASSIC FITになります。インディビジュアライズド社が創業当初から仕様しているパターンです。アメリカらしいパターンで程良いチェストのゆとりとウェストのシェイプが特徴です。オリジナルのパターンを基本としていますが、日本ではシャツを外に出しても着ることができるように着丈のみ短めに修正しています。

裾はパンツの外に出して着やすいように前身頃がやや短めに、また中に入れても着れるように後ろ身頃が長めになっていますが、サイドから見た時に前身頃と後ろ身頃をつなぐその曲線がとても美しく、僕が気に入っている特徴のひとつです。ユニバーシティー ボタンダウンという衿型は、BROOKS BROTHERSに採用されていたものと同じ型で、衿の立ち具合やロール感が絶妙なバランスとなっています。シャツの芯地は水溶性に近い薄いライニングを使用しており、アメリカの古着のシャツの様なクタクタな洗い感が、時間をかけてシャツの表面に現れてきます。写真のシャツは僕が約2年半着込んできたシャツで、いい具合にクタッとしてとても着心地がいいです。

INDIVIDUALIZED SHIRTSにはたくさんの素材が使われていますが、最初の1枚にはやっぱりオックスフォードのホワイトがお薦めです。すでに同じ様なシャツをお持ちでも、着比べていただければその違いをを実感していただけることでしょう。


ブランドの名前INDIVIDUALIZED SHIRTSは、「たった一人の為だけ存在するシャツ」という意味を表しています。「私の作るシャツの完成度は90%で、人が着込んでいくことで100%になる。」これはインディビジュアライズド社 代表のJoe Blairの言葉です。


INDIVIDUALIZED SHIRTS classic fit B.D. oxford plain ¥17.640
| 09:00 |
POST O'ALLS


classicoにストロングスタイルのツートップ、いよいよ登場です。所属チームはPOST 0'ALLS New York。
サッカー日本代表の僕が秘かに夢見るツートップの様な存在です。闘莉王と中澤のツートップ! ありえね〜。


POST O'ALLSは、大淵 毅氏により1993年ニューヨークで設立されました。ワークウェアを中心としたアメリカ衣料に対する深い造詣と、独自の論理と感性を以って、現代のファッションアイテムとして創造されているブランドです。同ブランドの生産に必要なヴィンテージのミシンや設備を揃えるのにも都合がよかったこともありニューヨークで始まりました。1910年代から1940年代のアメリカのワークウェアが、主なテーマとデザインソースになっています。当時そのままの手間ひまをかけた縫製仕様や機械にこだわり、インダストリアルなラフさなども含めた特徴を現代に蘇らせています。数多あるレプリカブランドと異なるのは、単に古着のコピーに終わるのではなく、製品のデザインひとつひとつにオリジナリティを取り入れているということであり、何よりもMade in U.S.A.であることでしょう。失われつつあるMade in U.S.A.のワークウェアの将来を担うブランドであると思います。


POST O'ALLSのスタート当初から今まで生産され続けているのが、#1102 Engineers' Jacket です。1930年代中頃のスーパーペイディのカバーオールがモチーフとされています。数あるカバーオールの中で大淵氏が最も評価しているモデルです。ビンテージの実物よりも、洗い込んでいくと随所にシワが出てくるように、着込んでいくと服全体が立体的になって味わいが出るように調整されています。そして現在でも度々見直され、改良され続けています。
#1102 Engineers' Jacket は、高めのアームホールと対照的にカーブした太めの袖を意識的に組み合わせることによって無骨さを強調しています。Aラインの度合いは自然体で、幅広いコーディネートを楽しむことができます。素材はCone Mills製の10oz.Jelt デニムを使用しており、長く愛用していく程に味わいを増していきます。


C-POST 3は、ワークウェアのエッセンスを取り込みながらもシンプルにデザインされたPOST O'ALLSの新定番的なシャツです。ステッチワークはワークウェアそのものですが、胸にはフラップ付きのワンポケット、衿は小さめのレギュラーカラーと、幅広いコーディネートを楽しむことができるシンプルなデザインとなっています。裾は長過ぎず短すぎず、出しても入れても着ることができる絶妙なバランスになっています。
素材は薄手で起毛感も少なくとても柔らかいフランネルを使用しています。イタリアの綿素材にみられるビエラの様な上質な素材感です。ワークシャツでありながら、着心地は快適で心地いいです。クラシックなタータンチェック、定番的な柄ではありますが、POST O'ALLSとしてはとても新鮮に感じます。アイビーやプレッピー的な上品なコーディネートに取り入れてみてもいいでしょう。


今年の夏頃、大淵氏にお会いする機会がありました。雑誌ではよく見ており、勝手に強くて恐そうな方というイメージを抱いておりましたが、実際の大淵氏はとても腰が低く、感じのいい方でした。そして、そんな大淵氏にお会いすることが出来たからこそ、POST O'ALLSに対する信頼が深まりました。


POST 0'ALLSは、ワークウェアに対する熱い思いとこだわり、製品に注がれる充分な心遣いから生み出されています。
みなさんも袖を通していただければ分かるでしょう。本物であると。
ストロングスタイルというのは、服作りに対する強いこだわりと絶対的な自信から生まれてくるのです。


POST O'ALLS C-Post3 flannel tartan shirting ¥27.090
POST O'ALLS #1102 Engineer's Jacket 10oz.Cone Denim ¥35.490


| 11:00 |
TEMBEA Baqet Tote


classicoを代表するバッグといえば、TEMBEA Baqet Tote(バゲットトート)でしょう。

バゲットトートは、8/17 ブログにてご紹介した浅草在住 加藤さんのお薦めで2007年の3月から展開を始めました。これまで約1年8か月、100点以上ものバゲットトートを皆さんにお買上げいただきました。感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。

TEMBEA(テンベア)とは、スワヒリ語で「放浪」の意味を表しています。
バゲット、旅行用の衣類、書類、雑誌など、"入れるものを限定する"ことをテーマとしたバッグのブランドです。

バケットトートは、バゲットなどの長い物を入れても肩に掛けられるように、ショルダー部分を手前に付けています。肩に掛けたまま物を出し入れできる優れものです。ワンショルダーは肩におさまりがいいように太めに作られており、肩に引っ掛かるためずれ落ちにくくなっています。A4サイズのファイルやノートパソコンも縦に入る使いやすいサイズで、通勤に愛用している方が多いようです。

素材はキャンバス(帆布)です。パラフィン(特殊ワックス)加工が施されており、通常のキャンバスより撥水性や強度に優れています。L.L.Beanのトートバッグと同じ号数のキャンバスですが、上質なやや柔らかい糸を使用して作られた生地なので、L.L.Beanほどハードな素材感ではありません。使い込む程に柔らかくなり、表情が変化し、使う人の体に馴染んでいきます。そしてその変化が使う楽しみのひとつであります。


先月9月3日に自由学園で行われたSTOCKIST展、今注目されているデザイナーやショップが全国から集まって行われたこの合同展に、TEMBEAも出展していました。会場にはバゲットトートを愛用しているバイヤーの方々がたくさん見られました。
展示会を見終わって、池袋駅近くのカフェで外を眺めながら昼食をとっていると、バゲットトートを肩に掛けたお洒落な人々が、続々と自由学園方向へ向かって歩いていきました。いかに全国のセレクトショップのバイヤーに愛用されているのかがよく分かりました。通常ワンショルダーを外側にして掛けている方が多いのですが、さすがにみなさん内側に掛けて歩いていました。

豊富な色展開もTEMBEAの魅力のひとつです。バゲットトートには定番色が幾つかありますが、シーズン毎の限定色も提案されています。classicoでもたくさんの色を選んでいるため、それぞれの色をたくさんは展開できません。少量づつの入荷になります。

TEMBEAはどんどんは発展し、新しいモデルも発表されています。classicoでもそんな新しいモデルも展開していますが、classicoの定番はやはりバゲットトートです。


TEMBEA Baqet Tote ¥ 9.240

上の写真のBaqet Tote natural / yellow 、natural / green 、natural / navy 、natural / black 定番カラーの4色です。
下の写真のBaqet Tote natural / grey 、natural / brown 、brown / mustard 、navy / black シーズンカラー4色です。

| 09:00 |
招き猫


谷中は猫の町として知られています。

classicoの周辺にはGALLERY猫町、猫町カフェ29、ねんねこやなどが集まっており、最近も猫雑貨の店MEOW MEOWができました。「谷中猫町巡りマップ」という地図もあるそうで、猫好きの人々も集う町になっています。特に夕焼けだんだん周辺の猫達は、雑誌やテレビでも度々紹介されており、とても人気があります。小説『我輩は猫である』に登場する我輩も、谷中の隣町である千駄木に居を構えた夏目漱石に飼われていた猫がモデルとされています。

谷中界隈は昔から長屋が多く住居が狭かったために、近所の人達みんなで猫を飼っていたらしいという話を聞きました。谷中には古いお寺も多く、ネズミが度々現れては被害を及ぼすので、ネズミ退治のために猫を放し飼いにしていたという話も聞いた事があります。


谷中が猫の町ということをまだ意識していない頃、たまたま看板猫として仕入れた招き猫が好評で、意外と早くに売れてしまいました。無くなってしまうと運気が逃げてしまう様な不安な気持ちになり、見つけては仕入れて、仕入れては売れてと繰り返しているうちに、classicoでは欠かせない商品となっていました。もちろん、歴代の猫達がclassicoにたくさんの素敵な出会いと幸運をもたらしてくれました。

左手を上げている招き猫は人を、右手を上げている招き猫はお金を招くと言われています。
ちなみに僕は、右手を上げている猫とは出会う機会が少なく、お金とは縁が薄いのだとつくづく思い知らされます。

コレクターの方から聞いた話では、明治時代頃に東北地方などで土人形の招き猫が作られはじめ、大正時代になると瀬戸などで磁器製の招き猫が作られる様になったそうです。土人形は劣化が進むので、いい状態のものはとても少ないです。磁器は劣化が少ないので保存状態がよく、しかも土人形と比べると生産量も多いため、比較的入手しやすいです。でも最近は古い招き猫風に作られた贋作もある様なので、信頼出来るお店で購入する事をお薦めします。


classicoの看板にゃんこチーム、"招き隊"に新メンバーが加わりました! 名前は新之助です。

先輩にゃんこ達は、みんな素敵なお店やご夫妻のところへ旅立って行きました。
谷中のGALLERY猫町旅ベーグル、千駄木のC.A.G.、神宮前のみつばち トート、金沢のうつわ・雑貨LINEなどなど。

きっと、みんな幸せに暮らしていることと思います。そして、ご主人様のために素敵な出会いを、幸福を招いていることでしょう。


新之助よりひとこと。「素敵なご主人様との出会いを楽しみにしています!」
| 18:00 |
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