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Over The Rainbow


 今日、miyaっちから素敵な写真が届きました。早朝の虹、綺麗だな〜っ。

 この虹の写真は、miyaっちが今朝方自宅近くにて撮った写真です。虹は消えては現われ消えては現われて3回も見ることができたそうです。月との共演がとても綺麗で幻想的だったそうな。写真でも綺麗だから、実物は「どんだけ〜!」って感じですよね。
 クラシコを始める前に勤めていたショップでは、BGMにハワイアンをかける機会が多かったのですが、その中でも僕が好きだった曲のひとつに Israel Kamakawiwo’oleの"Somewhere Over The Rainbow"という曲がありました(最近はとんと聴いていませんが)。原曲である"Over The Rinbow"は、1939年のミュージカル映画「オズの魔法使い」でジュディ・ガーランドが歌った劇中歌です。

 虹の向こうのどこか空高くに
 子守唄で聞いた国がある

 虹の向こうの空は青く
 信じた夢はすべて現実のものとなる

 いつか星に願う
 目覚めると僕は雲を見下ろし
 すべての悩みはレモンの雫となって
 屋根の上へ溶け落ちていく 
 僕はそこへ行くんだ

 虹の向こうのどこかに
 青い鳥は飛ぶ
 虹を超える鳥達
 僕も飛んでいくよ     歌詞(訳)はこちらを参照しています。

 miyaっち、虹の向こうには輝かしい未来が待っているよね、きっと!


| 23:30 |
classico


classico(クラシコ)という言葉から何をイメージしますか?

ファッション好きの方ならクラシコ・イタリアを、サッカー好きの方ならエルクラシコ(バルセロナ VS レアルマドリー)を、ワイン好きの方ならイタリア トスカーナ地方のワイン・ キャンティクラシコをイメージするのでしょうか。このblogを見ていただいている方の中には、谷中のclassicoと答えていただける方もいるのかな?


僕がclassico(クラシコ)という言葉を知ったのは10年以上前、1995年頃だと思います。当時日本のメンズファッションにはクラシコ・イタリアという大きな流れがありました。若い層のカジュアルマーケットは別として、クラシコ・イタリアがファッションの主流だったと言えるでしょう。

もともとクラシコ・イタリアとは、イタリア フィレンツェで年2回開催される紳士アパレルの展示会「ピッティ・イマジネ・ウォモ」出展メーカー中の19社で構成される「クラシコ・イタリア協会」からきた言葉です。日本では1990年代初頭くらいから徐々に認知され始め、クラシコ・イタリアという言葉がファッションのひとつの流れとして雑誌などで紹介されるようになりました。1999年には「エスクワイア日本版」にて「クラシコ イタリア読本」が発売されました。その頃が流れのピークだったのだと思います。キートンのスーツやジャケット、ルイジボレッリのシャツ、シルバノラッタンジのシューズ、ロータのパンツなど、イタリアの職人の手による高級紳士服が、あちらこちらのメンズショップにも並んでいました。僕も当時はそんな流れに乗って、ボレッリのシャツやロータのパンツなどを購入し、レストランへ行ったり旅行へ行ったりする時などの勝負服として愛用していました。

数年が過ぎ、クラシコ・イタリアという流れは緩やかな流れとなり、雑誌でも特に取り上げられる話題ではなくなっていきました。今や流行とは関係なく一部の高級紳士服店において展開され、一部の富裕層の方々に愛用されるものとなりました。そんな現在の状況の方が本来ふさわしいクラシコ・イタリアの在り方なのかもしれません。


独立して自分のショップを持ちたいという夢は、8年程前から持ちはじめていました。最初に勤めた会社からずっと洋服に携わってきていましたし、洋服を中心としたショップを持つことを夢見ていました。そんな頃、仕事をする中で骨董市を見に行く機会があり、自分自身も深く興味を持つようになりました。出勤前の早い時間や休日に、東京・神奈川の骨董市やアンティークショップを見てまわったり購入したりしながら少しずつ勉強を重ねていきました。やがて洋服よりも骨董やアンティークなど古い物を扱うショップを開きたいと、思いは変わっていきました。

僕が当時勤めていたショップは独自のスタイルを持っていて、流行に左右されるようなお店ではありませんでした。でも長い間洋服の業界で働く中で、ファッションというものには嫌気がさしていました。特に日本は流行の移り変わりが激しく、ついこの前までは流行の最先端だったものが、1年後には忘れ去られているということがよくあります。ファッションに限ったことではなく、テレビ・新聞・雑誌などマスコミなどの影響により、様々な事柄に見られる現象なのでしょうが。そんな事もあり、自分自身の洋服の価値観がどんどんミニマムな方向へ進んでいきました。そして、自分が洋服のショップをオープンするということがイメージ出来なくなっていったのです。


時代や国籍に関わらず長い年月を生き続けてきたもの、流行に左右されず時を経ても古くならないもの・錆び付かないもの、新しいものでも僕たちの子供や孫の世代まで大切に語り継いでいきたいもの、そんなものを集めたお店をやっていきたいと思うようになりました。そして、classico(クラシコ)という言葉が強いイメージとして浮かび上がってきたのです。イタリア語でクラシックを意味する「クラシコ」という言葉の響きは、ちょっと堅めで日本語的に感じていました。みんなが日々の「暮らし」を楽しむためのお店にしたいという思いもありました。そんな思いを重ねて、店名をclassicoと決めたのです。


いよいよ独立することとなり、前職を通じて親しくしていた中村夫妻が谷中へと誘ってくれました。中村夫妻は2005年3月に谷中でshop nakamuraをオープンし、すでに確固たる基盤を築いていました。中村夫妻には物件探しにもご協力いただき、おかげで素敵な物件が見つかりました。この物件というのが、入口が2つ・部屋が2つあり、中で繋がっている面白い物件でした。アンティークを中心としたショップをオープンするつもりでしたが、もう1部屋あることが重要な鍵となりました。暮らしを楽しむための雑貨を展開しようかと考えましたが、中村夫妻から助言がありました。「ずっと洋服に携わってきたのに、その洋服との関わりを辞めてしまうのは勿体ないんじゃないか」と。1部屋分・6坪のうち半分のスペースを雑貨、半分のスペースを洋服にすれば、ミニマムな洋服だけでも展開出来るかもしれないと思い直し、classicoのスタート地点に立ったのです。

「洋服も雑貨・アンティーク・民芸品などと同様に暮らしをを楽しむための道具である」という視点に立ってセレクトしました。洋服をより道具的な意味合いの強いclothesと表し、classicoのサブタイトルを決めました。antiques, clothes, crafts, and life.


classicoをオープンして沢山のお客様との出会いがありました。自分自身がセレクトして仕入れた商品を気に入っていただき、ご購入いただけることに喜びを感じました。洋服に関しては特にご好評をいただき、自分の自信にもなりましたし、意欲も湧いてきました。ご来店いただくお客様の気持ちに応えていきたいという思いから、新しい取引先を開拓しながら展示会をまわり仕入れをしていく中で、商品も充実していきましたし、皆様からのご支持もいただけるようになりました。オープンして3年目となる現在では、洋服がclassicoの中心となりました。僕自信も充実した気持ちで一杯です。


classicoの洋服はカジュアルな洋服ばかりで、クラシコ・イタリアとは違います。アメリカやヨーロッパからのクラシックなカジュアルウェア・オープン当初からのミニマムな洋服も展開していますが、これからのクラシコという視点で選んだ次世代へ繋いでいきたい洋服も、少しずつ増えてきています。中には「あれっ?」と感じるものもあるかもしれませんが、僕の中では意味のあるものとしてセレクトしています。時には「やっちまってるな〜。」と思われることもあるかもしれませんが、温かくそして時には厳しく、見守り続けていただけたら幸いに思います。
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